第1章:商標登録の基礎を押さえよう
第4節:社名の商標登録こそ最優先
商標法では、「商標」を商品またはサービスに使用される文字や図形などと定義しています。そのため、商標制度に詳しい企業でも、社名の商標登録を商品名やサービス名よりも後回しにしてしまうことが少なくありません。
また、筆者の経験上、「社名は法務局に登記しているから大丈夫」という誤解も広く見られます。しかし、登記は単に法人格を証明するものに過ぎません。
「はじめに」で触れたように、成長企業の多くが共通して行っているのが社名の商標登録です。この事実からも、社名の商標登録が企業の成長に欠かせない前提条件であることは明らかです。
そこで本節では、中小企業・スタートアップにとって、社名の商標登録こそが最優先である理由を説明します。
社名は商標として使用されている
以下、本書において「社名」には、法人の商号だけでなく個人事業主の屋号も含むものとします。
そもそも、社名を単に会社の名称として使用するだけであれば、必ずしも商標登録は必要ではありません。しかし、実際には多くの場合、社名は目立つ形で商品に付されるか、サービスとともに提供されます。
この場合、社名は商品やサービスのブランド、すなわち商標として使用されていることになります。特に、造語などのユニークな社名は消費者に強く印象付けられるため、商標として非常に有効です。
例えば、株式会社child islandは、自社商品である高級化粧水を社名と同じ「child island」ブランドで販売しています。もし、このブランドと同一または類似する商標を、競合他社が先に商標登録した場合、株式会社child islandが引き続き安心して社名を商標として使用するためには、その他社からライセンス(使用許諾)を受けることが必要となります。
しかし、先に商標登録をして合法的に商標権者となったその他社が、使用許諾を与えることはほとんど期待できません。なぜなら、その他社は「child island」のブランド価値に便乗し、これを奪おうとしている可能性があるからです。
その結果、株式会社child islandは、社名を自社商品の商標として使用できなくなるリスクを抱えることになります。無断で使用すれば、商標権者である他社から使用差止と損害賠償を請求される可能性があるからです。
商標として使用しなければよい?
仮に、社名を商標として使用する予定が当面ない場合はどうでしょうか? それでも、社名の商標登録は行うべきです。
なぜなら、自社と無関係な他社が、自社名と同一または類似する商標を正当に商標登録した上で、その登録商標を商品やサービスのブランドとして市場で使用すれば、消費者に混乱を与える可能性があるからです。この場合、消費者は、その無関係な他社が自社と組織的・経済的・経営的な関係があると誤認するでしょう。その結果、自社の信用やブランドに大きな影響を及ぼすおそれがあります。
こうした理由から、「はじめに」で紹介した成長著しいスタートアップや、第1節で紹介した「Panasonic」や「花王」などの大企業は皆、自社の企業ブランドを守るために社名の商標登録を行っているのです。
さらに、社名の商標登録は一部の成長企業や大企業だけでなく、あらゆる中小企業・スタートアップにとって有益な商標戦略です。実際、日本政府・特許庁は、創業前のスタートアップに対し、特許や意匠登録よりも商標登録を先に行うこと、および商標登録は商品名やサービス名よりも社名を先に行うことを推奨しています(*)。
*特許庁ウェブサイト「IPBASE」(https://ipbase.go.jp/learn/kigyo/index.php)
困ったら社名変更すればよい?
さらに、筆者の経験上、クライアントである中小企業・スタートアップの経営者から、「もし他社に商標権を取られて権利トラブルになったら社名変更するから、自社名の商標登録は必要ない」という認識を聞くこともよくあります。
しかし、この考え方は必ずしも賢明とは言えません。なぜなら、社名変更には、社員の名刺、広告、看板の再作成、取引先や消費者への周知など、会社にとって大変な手間とコストがかかるからです。
それ以上に問題なのは、これまで社名に蓄積されてきた会社のブランド価値が、社名変更によって白紙に戻ってしまうことです。このため、既存の顧客や市場との信頼関係に悪影響を及ぼす可能性があります。
さらに、たとえ権利トラブル後に社名変更をしても、過去の権利侵害の事実を帳消しにできるわけではありません。そのため、商標権者から損害賠償請求を受けるリスクを回避することは困難です。
このように、権利トラブルに起因する不測の社名変更は、会社に甚大なダメージを及ぼします。致命傷となる可能性も少なくありません。
かつて「松下電器産業」が「パナソニック」に社名変更したように、グローバル化を背景とした確固たるブランド戦略と周到な準備の下で自発的に行ったリブランディングとは、全く意味が異なるのです。
先延ばしに合理的理由はない
今、社名の商標登録をしておけば、そうした不測のダメージを未然に防ぎ、リスクを極力抑えることができます。
また、商標登録にかかる手間とコストは、社名変更に比べれば格段に低く抑えられます。不測の社名変更にかかるコストが数百万円から数千万円の規模に及ぶことがあるのに対し、商標登録はほとんどの場合、数万円から十数万円で完了します。
将来、権利トラブルに巻き込まれて望まない社名変更を強いられるのか。それとも今、社名の商標登録を行い、今後は権利トラブルの不安なく安心して事業を展開するのか。経済的にも精神的にも、どちらが賢明かは火を見るよりも明らかです。
こうした観点から、社名を商標登録することは非常に大きなメリットをもたらします。経営者がこれを先延ばしにする合理的な理由は見当たりません。むしろ、社名の商標登録を怠ることは、経営判断として大きなリスクを抱え込むことになりかねないのです。
さらに強い表現を用いるならば、株主や従業員から見て、十分に回避できるリスクを放置する行為にも映りかねません。筆者としては、それほどまでに社名の商標登録の重要性は高いと考えています。